全国郷土紙連合

全国12新聞社加盟kyodoshi.com

北海道から沖縄県石垣島まで、南北に長い日本列島。今日もどこかでホットなニュースが生まれる。

黒い豚丼 愛され93年 帯広「新橋」感謝の閉店

 黒い豚丼で有名な帯広市内の味処「新橋」(西2南4)が、15日で創業93年の歴史に幕を閉じる。1926(大正15)年に開業し、豚丼の提供を始めたのが50年代後半。豚丼を提供する店としては、市内の「ぱんちょう」に続く2番目の老舗だ。2代目で代表の熊谷隆さん(72)は「体力に限界が来た。お客さまや従業員の支えでここまでやってこられ、感謝の思いでいっぱい」と話している。

最後の営業日も笑顔で豚丼を作る店主の熊谷隆さん

 新橋は26年1月1日、先代の故熊谷善四郎さんが西2南8の廉売内で開店。当初は鍋焼きやチャーハン、そばなどを提供するカフェーだった。戦時中の45年に建物疎開のため、西1南4に移転。50年代後半には、ぱんちょうが開発した豚丼が帯広飲食喫茶組合で話題になり、新橋など市内の食堂が相次いで豚丼を提供するようになった。

 77年に七男である隆さんが経営を引き継ぎ、81年に現在地に移転。席数もほぼ倍と規模を拡大した。

 黒い豚丼は善四郎さんがカラメルソースにヒントを得て生み出し、当初からの味をそのまま隆さんが受け継いだ。新橋では網焼きではなく、肉汁のうま味を逃さないフライパンを使用。「肉汁をソース代わりにするが、脂身が強くならないように秘伝のたれを継ぎ足している」(隆さん)という。

 20年ぶりに食べたというお客さんから「味が全然変わらない。懐かしい」と感想をもらったこともあり、「昔からのおやじの味を守り続けてこられてよかった」と笑顔で振り返る。

 2000年代に入り、帯広名物といえば豚丼と全国的に知名度が上昇。「見た目が黒くて変わっているけど、おいしい」と、口コミなどで観光客の来店も増えた。「帯広の名物として責任を感じるほどに、豚丼が広く認められるようになってうれしい」

 店を閉めようと思ったのは「体力の限界が来たから」と隆さんは明かす。「70歳を過ぎた頃から、店を続ける体力がなくなってきた」とする中、ホール担当の従業員が1月末で退職したのを機に閉店を決意した。

 営業最終日の15日も午前11時に開店(午後3時終了予定)。30分ほどたつと市民らが次々と訪れ、席がどんどん埋まった。31年来の常連という市内の長瀬さち子さん(60)はいつもの「豚丼肉盛り」と「けんちん汁」を注文。「熊谷さんはほとんど年中無休で店一筋だった。寂しいが、ゆっくり休んでほしい」と、感謝の言葉とともに花を手渡した。

 隆さんは「長年続けてきたので申し訳ない気持ち」とする一方、「天気も良く、すがすがしく最後の1日を迎えられた」と感慨深げに語った。

常連客の長瀬さん(右)からは感謝の花も

関連記事

芽室に新たな観光コンテンツを 食や農業のモニターツアー実施

 芽室町の新たな観光コンテンツの構築を目指したモニターツアーが24日、芽室町坂の上の「とかち芽室の百笑farm(ファーム)」で開かれた。町内で農業、飲食、観光業に携わる有志らを中心に企画。知り合い...

荘内日報社

酒田港 基地港湾に指定

 遊佐町沖、酒田市沖で進む洋上風力発電の事業化に向けて国土交通省は26日、酒田市の酒田港を港湾法に基づく「海洋再生可能エネルギー発電等拠点港湾(基地港湾)」に指定し、酒田港港湾管理者の吉村美栄子県知...

宇部日報社

地元の歴史や名所歌う「今昔かるた」 埴生小・中の図書館ボランティアが制作..

 「埴生祇園 1100年の古(いにしえ)より」。山陽小野田市埴生地区の歴史や文化、名所を歌った「埴生今昔かるた」が、埴生小・中(東原秀一校長、265人)の玄関奥の大階段に飾られ、児童や生徒たち...

「元気で大きくなって」 ウミガメ放流、児童ら見守る 奄美海洋展示館

 鹿児島県奄美市名瀬の奄美海洋展示館は25日、飼育していた6歳のアオウミガメを放流した。2017年夏に大浜海浜公園でふ化後、陸で衰弱していたところを保護された個体。遠足で同館を訪れていた奄美小学...

加盟新聞社

カテゴリー一覧

アーカイブ一覧

アクセスランキング

  • 週間アクセス
  • 月間アクセス

関連リンク