河口に貝灰の窯跡 ボタンに使った殻焼く
手前の白い部分は貝灰用の貝殻。奥は貝殻を焼いた窯の跡。埋まって草で覆われている(白浜町富田で)
明治後期―昭和中期に貝ボタンの製造が盛んだった白浜町の富田地域に、漆喰(しっくい)の原料となる貝灰を作るため、ボタンの原料として使った後の貝殻を焼く窯の跡が今も残っている。地域の歴史に詳しい脇本敏功さん(76)=白浜町富田=は「小さいころ、窯から煙が上がっていたのを見た。ボタン工場でも用済みの貝殻の処分に困っていたのでは」と話す。
窯の跡が残っているのは富田川と高瀬川が合流する両河川の河口の南東側、「対の浦」海岸に向かう町道沿いにあり、通称「からす岩」と呼ばれる奇岩の近く。同地に住んでいた中岩庄吉さんが造り、庄吉さんと息子の政橘さんが貝灰を製造していた。 政橘さんの長女によると、窯がいつ造られたのかは分からないが、1917(大正6)年ごろの写真には、屋根のついた窯と作業場の建屋が写っている。昭和30年代まで使っていたという。 窯は筒状で、石を積み上げて造っていた。直径2メートル以上、深さは3メートル近くあった。製材で出た端材と貝殻を交互に入れて積み重ね、窯がいっぱいになったら1週間ほどかけて焼いたという。 焼いた貝殻は機械で粉々に砕き、ふるいにかけて袋に入れ、建材店へ販売したという。貝殻は地域内にある貝ボタン工場から調達した。 窯は今は土で埋められ、草で覆われた状態。端材に火を付けた、たき口付近の石積みはそのまま残されており、当時の面影をとどめている。
貝灰用の貝殻。ボタンをくり抜いた跡が残っている
窯跡のそばには、ボタンをくりぬいたサザエやアワビ、イタヤガイとみられる二枚貝など多量の貝殻が積み上げられたままになっている。 白浜町誌によると、富田地域では明治末期に貝ボタンの製造に着手する人が続出。工場が幾つもでき、大正中期の調査では工場の従業員数は450人以上に達し、地域経済に大きく貢献したという。 貝殻は九州や東北地方の日本海側、三重県、広島県、山口県のほか韓国済州島からも運び込まれたという。 漆喰の原料を製造する産業は、県内では串本町でも江戸時代―昭和中期に盛んだった。同町では海岸に打ち上げられたサンゴを使用。有田から田並地区にかけての海岸沿いにサンゴを焼く窯が数カ所造られ、今も1カ所がほぼ完全な形で残っている。 サンゴや貝の灰で作った漆喰は、和歌山城の補修にも使われたと伝えられている。
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