奇絶峡の風穴 再発見
大正時代には蚕種を貯蔵していたという奇絶峡の風穴の中(田辺市上秋津で)
和歌山県田辺市の上秋津愛郷会(中山浩一代表理事)は、吉野熊野国立公園に追加指定された奇絶峡の山中にある風穴(ふうけつ)を「再発見」した。風穴が愛郷会の山にあると以前から知られていたが、詳しい場所は分からなくなっていた。元愛郷会役員の原和男さん(77)は「愛郷会の財産。後世に伝えるため、はっきりとした場所を確認しておく必要があった」と話している。
1965年に発行された地誌「太古海中の秋津谷 上秋津村中心の史蹟概要と奇絶峡物語」にも詳しく紹介されている。その風穴は、びょうぶのような「三枚ナメラ」と呼ばれる大岩にあって、極暑でも寒風が吹いてくると書かれている。さらに洞窟内は養蚕(ようさん)業が盛んだった大正初期に蚕種の貯蔵庫として、その後はかんきつ類の貯蔵に利用していたと説明。昭和50年代の観光パンフレットにもその存在が紹介されている。 調査は、30年以上前に1度訪れたという原さんの記憶とメモを頼りに、昨秋から3回行い、県道から約40分歩いた山中で再発見することができた。国立公園内であることから環境省田辺自然保護官事務所職員も参加した。 再発見した風穴は幅約50センチ、高さ1メートル弱の小さなものが複数。そこから続く洞窟は広く、高さと奥行きが約10メートル、幅は3メートル以上ある。貯蔵庫として利用していた当時は床にコンクリートを張っていたと伝わるが、土砂が2、3メートルほども積もっており、確認することはできなかった。 原さんは「再発見できてうれしい。奇絶峡の素晴らしい自然と結び付けながら何とか活用してもらえたらと思っている」と話している。
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