高千帆中で「平和のつどい」 山陽小野田
「平和のつどい」は、あす20日に厚陽中でも開かれる。
戦争の悲惨さを知り平和の尊さを考える「平和のつどい」は18日、山陽小野田市の高千帆中(笹村正三校長、473人)であり、全生徒と地域住民ら約530人が被爆を語り継ぐ会(広島)の語り部の話に耳を傾けた。市教委主催。
戦争の悲惨な体験と平和への情熱を風化させないように、次世代を担う中学生に戦争の実態について知ってもらおうと1997年から毎年、開いている。広島県原爆被害者団体協議会・被爆を語り継ぐ会の白石多美子さんが「被爆体験証言と未来へ向けてのメッセージ」の演題で話した。
原爆投下時に6歳だった白石さんは、爆心地から約4㌔離れた宇品国民学校の教室内で被爆。母親と2人で祖母を捜しに行く途中、たくさんの人や馬の死体を目にする。小学3年生の時に高熱に苦しみ1年間、入院。家に帰ってからも身体的、精神的に苦しんだという。
白石さんは「原爆が投下されたのは午前8時15分だが、教室の右にある窓から青白い光が見えたのを覚えている。ガラスが割れ頭を切ったが、お医者さんには〝軽いから家に帰れ〟と言われた」と、多くの重傷患者がいたことをうかがわせた。
3日後に再会した祖母だが、背中は真っ黒に焼けただれハエがたかっていたのに近寄れなかった。「最期にすしが食べたい」という祖母の願いは、かなえられなかった。
21歳の時に結婚できたが、夫には被爆したとは告白できなかった。やがて知られてしまうが、夫の「広島の人は(被爆した人が)多いから、もしかしたらと思っていた。もういいよ、済んだことだから」の言葉にどんなに助けられたかと振り返った。
白石さんは「育ててくれた母、学校に行けない時に癒やしてくれた家で飼っていた鶏、そして主人に感謝している。原爆により多くの中学生も亡くなったが、そういう時代に戻らないように今の平和を守って」と生徒たちに訴えた。
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