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長野日報社

夫婦で歩む四つ目の元号 諏訪市の有賀清晴さんとさわ江さん

「令和が平成に続いて戦争のないいい時代になってほしい」と話す103歳のの有賀清晴さん(左)、100歳のさわ江さん夫妻

大正4(1915)年生まれで103歳の有賀清晴さんと、大正8(1919)年生まれで100歳のさわ江さん夫妻=長野県諏訪市豊田小川=は、新元号「令和」となる5月1日から四つ目の元号を共に歩むことになる。太平洋戦争を生き延び、農業や漁業に携わってきた清晴さん。そんな清晴さんを支え、家を守ってきたさわ江さん。「令和がいい時代になってほしい」と願っている。

二人は昭和16(41)年に結婚した。2年後、召集令状が届く。「生きて帰るつもりはなかった」と清晴さん。旧満州(中国東北部)に出征し、部隊が大損害を出す中、清晴さんは死線をくぐり抜けた。「よく生きていたと思う」と回想する。

戦後2年間はシベリアに抑留され、昭和22(47)年に帰国した。抑留時に患った肺の病気でしばらく入院。さわ江さんは、清晴さんの召集後に産み、数え年6歳になっていた長女を連れて松本の病院に見舞った。清晴さんを写真で見たことしかなかった長女は「写真によく似たお兄さんだね」と話したという。

退院して家に戻り、清晴さんは「夢のようだった」。さわ江さんは「無事に帰ってくる人が少なかった。本当にありがたかった」と振り返る。清晴さんは農業の傍ら諏訪湖で魚取りに熱中し、田植えの時期には産卵期で水面に跳ねるコイを求め、夜も帰らずに「舟の中で寝ている方が多かった」という。

子どもは娘4人を授かったが、次女を4歳の時に亡くした。さわ江さんは「風邪をこじらせて」と切ながる。

結婚して80年近く。清晴さんは「文句を言わず、よくついてきてくれた」とさわ江さんに感謝する。さわ江さんは「勝てないから、けんかしたことない。幸せだった」と笑顔を見せる。

同居する三女の節子さん(67)によると、清晴さんは耳が遠く、さわ江さんは骨折で足が弱くなった以外は元気だ。清晴さんは99歳まで車を運転し、魚取りに出掛けた。健康の秘訣を清晴さんは「別にこれってないね。負けず嫌いで、何でも今に見ていろという気持ちがいつもあった」と話し、さわ江さんは「のんきで、くよくよ考えない」と笑う。

清晴さんは経験してきた三つの元号の時代の中で、「平成は戦争もなく平和で、こんなにいい時代はなかった」とする。「新しい時代になっても、この平和を引き継いでほしい。戦争だけは絶対にやっちゃいけない」と望む。

天皇陛下が30日で退位される。「大した方だと思う。ご自分の責任をすべて果たされてきた。災害が起きた時にはそのたびに被災地を訪問されてきた」と二人。「皇位を譲っても、平和を伝えていくことを願われていると思う」と話している。

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