大アムシャレ伝説後世へ 史跡の環境整備完了し式典 与路島

与路の先人たちを弔う碑文などが追碑された「大アムシャレ津止家太祖と与路島先人之墓」=14日、鹿児島県瀬戸内町の与路島
鹿児島県瀬戸内町の与路島に伝わる悲劇の大アムシャレ伝説。島民でも知る人が少ないというこの伝説を物語る史跡の環境整備が今月完了し、14日に与路島観光商工協会(榮勝永会長)主催の式典が行われた。法要には関係者約20人が参加。島の発展と世界平和、島民の健康を祈り、心静かに石碑に手を合わせた。
島の港から徒歩5分の場所に来月、ビジターセンターがオープンする。この施設の裏手の急斜面を登った丘に「大アムシャレの墓」が存在することを、土地を所有するGETTIグループのリゾート資産保有会社CJCASA(太田麻紀子代表取締役)が知り、今年1月から本格的に整備を始めた。
1968年発行の与路島誌「ふるさとの今昔」によると、大アムシャレとは、琉球王国統治時代の祭政上最高位の神女(ノロ)を補佐した要職のことで、津止家(与路島)の先祖に当たる。伝説は、大アムシャレが姪を伴って首里城の王府を訪れた際に起こった出来事に基づく。
王は姪の美しさに目を奪われ、王の妻女にしたいと望んだ。大アムシャレは姪の両親の許可なくそのようなことはできないと固く断り退出を申し出たが、聞き入れられず、姪は出された茶を飲み毒殺された。大アムシャレは急いで下城し舟のこぎ手を集めて与路を目指したが、与路の集落が見えてきた時、姪の亡きがらを抱いて入水自殺を図ったという。
古仁屋与路会が2008年に設置した大アムシャレの石碑の碑文には、「(与路の)村人は深い悲しみの中で海岸からナバ石(サンゴ)を手渡して運び、この地にノロ墓を建てて葬った」と記されている。
大アムシャレの墓がある場所は、島民からアブリヤ(神山)と呼ばれてきた。墓は大アムシャレの子孫の故津止義信氏が1963年に「津止家太祖之墓」として建立。孫の克明さん(50)=東京都=は、義信氏から「アブリヤには大アムシャレだけでなく集落の方々の骨と思われるものも多数あった」と聞かされていた。
そのため今月9、10の両日、墓に「大アムシャレ」と「与路先人之墓」の文字を加え、古仁屋与路会が設置した石碑の碑文を要約・加筆したプレートを台座に貼付。関係者だけでなく島民や来島者が訪れ歴史を学び、先人への感謝と平和を願う場に整えた。

集落説明会に参加した関係者
14日は、アブリヤで法要、公民館では集落説明会があった。法要では参列者が焼香を行い、唄者の里朋樹さんが島唄「朝顔節」を披露。集落説明会では与路観光商工協会の榮会長、与路集落の信島豊武区長、古仁屋与路会の池崎輝房会長、名瀬在住与路郷友会の喜入博一会長らがあいさつした。
来島した津止克明さんは「20年ほど前にアブリヤを訪れたときには雑草も茂り荒れていたので、関係者のおかげで整備され、喉の奥の骨が取れた思い」と胸をなで下ろし「今回、島の方とのご縁がつながったので、島の発展にできる限り協力したい」と話した。
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