つなげたいウチナーの絆 奄美沖縄県人会、前川順英さん
奄美沖縄県人会のアルバムで沖縄の日本復帰当時を振り返る前川順英さん=13日、鹿児島県奄美市名瀬
沖縄県にルーツを持つ奄美在住者でつくる「奄美沖縄県人会」。今年で創立66年を迎える。沖縄の日本復帰から50年。望郷の思いで絆を深めた沖縄出身1世の会員は高齢化でほとんどいなくなった。奄美で生まれ育った2世、3世たちは今、親の世代が培ったウチナー(沖縄)の絆を大切に守り継ごうと活動に取り組んでいる。
会長の前川順英さん(64)=鹿児島県奄美市名瀬長浜町=は父、母ともに沖縄県伊是名島にルーツを持つ奄美2世。一家は漁師、魚屋として名瀬港町に居住していた。「あのころは港町全体がみんな沖縄出身者。親戚付き合いのように仲良く、和気あいあいとした暮らしだった」と懐かしむ。
現在の名瀬入舟町の鹿児島地方法務局がある辺りは船の「揚げ場」。いつも活気付いていた。当時の港町の漁師たちの9割は沖縄出身。揚げ場にはウチナー口が飛び交い、お茶の時間には琉球民謡が必ず掛かっていた。「気がつけば沖縄文化が日常に常にあった」
50年前のきょう、1972年5月15日、沖縄の施政権が日本に返還された。当日のことを、今でもよく覚えている。中学1年生だった。父たちは祝いの漁船を出し、近所の人たちは名瀬小学校に集合。日の丸の小旗を振り、港町の揚げ場まで行進した。みんなお祭り騒ぎで沖縄の日本復帰を喜んだ。伊是名島にいた祖父母の所へもパスポートなしで行ける。前川さんもうれしかった。
やがて街にスーパーマーケットなどが進出してくると魚の行商はへり、港町の居住者も市内あちこちへ転居していった。前川さんも東京で働くこととなった。
2000年頃、島へ帰郷。会の活動は徐々に下火になっていて、「何か手を打たなければ会は消滅の危機を迎える」と感じた。16年、会の創立60年を記念し、記念誌の発行と琉球フェスタのイベントを開催した。沖縄県の歌手やエイサーで盛り上げた。今も県人会で野球チームを結成するなどして次の世代を巻き込む。
沖縄の復帰50年。「住んだことはない場所だが、気持ちはそこにある不思議な場所」。としみじみ感じる。「奄美にいる自分ができることは、この会を次世代に残していくこと」。親たちが教えてくれたウチナーンチュの誇りを大事に、仲間を大切に思う絆の深さを次の世代に引き継ぐことが使命だと感じている。
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